映画『ブレンダンとケルズの秘密』ネタバレ感想。アイルランド神話も解説

アイルランドの国宝である装飾写本「ケルズの書」やアイルランド系カトリックの歴史的な要素を絡めながらも、基本的には主人公のブレンダン少年の成長物語として楽しめる長編ファンタジーアニメ。

トム・ムーア監督率いるアイルランドのアニメスタジオ、カートゥーン・サルーンが手がけた「ケルト3部作」の1作目にあたる。

『ブレンダンとケルズの秘密』の作品情報

  • 2009/フランス、ベルギー、アイルランド/75分
  • 原題:The Secret of Kells

スタッフ

  • 監督:トム・ムーア、ノラ・トゥーミー
  • 脚本:ファブリス・ジョルコウスキー
  • アートディレクター:ロス・スチュアート
  • 音楽:ブリュノ・クレ、KiLA

ストーリー

9世紀のアイルランド。バイキングの襲来にそなえ、ケルズ修道院を囲む塀を作る大規模な工事が続く中、バイキングに襲われたスコットランドのアイオナ島から、高名な修道士エイダンが、一冊の「聖なる書」を携え逃れて来る。その本には隠された知恵と力が秘められていた。本を完成させるためブレンダンは、インクの原料である、ある植物の実を探しに、危険を冒して、不思議な生き物が隠れ住む魔法の森へ出かける。森でオオカミの妖精アシュリンの助けを得てブレンダンは、無事に実を持ち帰るが、バイキングの襲来がケルズにも迫っていた。ブレンダンは本の力によって、迫りくる闇を打ち砕き、世界に光を取り戻すことができるのか?(公式サイトより)

『ブレンダンとケルズの秘密』ネタバレ感想と解説

本作の一番の魅力はなんといっても伝統的な組紐文様や幾何学模様、動植物のモチーフで埋め尽くされた装飾性の高い美麗なアニメーションであろう。

キャラクターは極端にデフォルメされたデザインで好みは分かれそうだが、動きは非常に表情豊か。白猫のパンガ・ボンは最初から最後までかわいい。

個人的には風や霧、光といった本来形のないものを、抽象的な文様を用いたユニークな描写で表現している点がお気に入り。

またバイキング襲来の際に降っていた雪の結晶は、十字と円を組み合わせたいわゆるケルト十字をパターン化したもので、これが白・黒・赤と色彩を抑えた背景にはらはらと舞っている様子は美しくも死を感じさせる演出で印象に残る。

本作ではバイキングについては具体的な描写はされず、あくまでも(キリスト教的な)文明の外に存在する恐ろしい侵略者のイメージとして、剣を持った黒いシルエットで描かれている。ほとんどうなり声しか発さずセリフも「gold」と言うだけで、聖なる書を奪っても金や宝石の細工がされたきらびやかな表紙にしか興味を示さない。

バイキングが求める黄金物質的な宝の象徴。
一方ブレンダンとエイダンは精神的な宝の象徴である聖なる書物を守り、完成させるために陥落したケルズ修道院を離れ旅に出る、という対照的な描かれ方になっている。

アイルランドの歴史や神話要素が詰まった魅力的な作品だが、なじみのない部分もあるかと思うので簡単な解説や自分なりに感じたことを書いておく。

アイルランドの歴史的背景 – キリスト教の広まり

キリスト教が広まる以前のアイルランドについては記録はあまり残っておらず、はっきりしたことはわかっていない。

宗教はドルイドと呼ばれる祭祀階級を指導者として、霊魂不滅を信じ、木や森などの自然物を拝む多神教的なものがもともとあった。

5世紀ごろに聖パトリック(パトリキウス)を中心とした本格的なアイルランド布教によりキリスト教が広まりはじめる。聖パトリックはアイルランドの守護聖人である。

作中には嘆きの地に住むクロム・クルアハという蛇の姿をした恐ろしい魔物が登場するが、これはかつてアイルランドの人々が信仰していたとされる古き神

聖パトリックがクロム・クルアハの像を破壊して信仰を禁止したという伝承もあるが、アイルランドにおいてはキリスト教は比較的穏便に受け入れられていったようである。

このように始まったアイルランドのいわゆるケルト系キリスト教はローマ的なキリスト教とは細かい教義やしきたりなどにおいて違いが見られた。

修道院建設が進められ、福音書研究や写本制作も盛んになり、7世紀頃からの学問が花開いた平和な時代は「聖者の時代」と呼ばれ、バイキングに侵略されるまで続いた。

8世紀末になるとブリテン諸島の沿岸部はすでにバイキングの襲撃を受け、内陸のケルズ修道院にもバイキングの脅威が迫っているなかで、芸術や学問より砦作るぞというムードになっているのが物語のスタート地点。

修道院の中央ににそびえ立つ特徴的な高い塔(ラウンドタワー)はアイルランドの修道院に多く見られるもので、見張り塔としての役割のほか、実際にバイキングなどの外敵が攻めてきた時の避難所として使われていた建物である。

アシュリンとブレンダンの関係

狼の妖精アシュリン修道僧の少年ブレンダンの交流は古来の自然信仰とキリスト教の共存が表現されている。

二人でカシの実を取りに行くとき、木々の奥にちょっとだけ白い人影が見えるのだがこれは聖パトリックだろうか。

伝統的なもの(=森、自然)が新しいもの(=キリスト教)を受け入れうまく調和した世界を表現しているのかもしれない。差し込む光もとってもきれい。

聖パトリックはブリタニア(現在のグレートブリテン島の南部)出身者なんだけれど、アイルランドに連れていかれて奴隷として生活していたこともあったというちょっと変わった経歴の持ち主であり、おそらくアイルランド固有の土着的な文化をよく知っている人だった。
アイルランドにおいてキリスト教布教が比較的上手くいったと言われるのはその辺の事情もあるのだろう。

元ネタになってそうな神話や伝承など

狼の妖精アシュリンは、アイルランド神話に登場するダーナ神族(トゥアハ・デ・ダナーン)がモデルかと思う。

ダーナ神族は、ミレー族というあとからアイルランドに入ってきた部族に敗れ、その生き残りはやがてディーナ・シーと呼ばれる妖精になっていったとされる。

ダーナ神族に勝ったミレー族が信仰していたと言われるのが例のクロム・クルアハ。

アシュリンが母や仲間を殺されたと言ってクロムをたいそう恐れていたのは多分こういう神話をストーリーに落とし込んでいるからだろう。

ちなみに敗れたダーナ神族の生き残りが移住したのがティル・ナ・ノーグと呼ばれる楽園的イメージを持つ土地で、聖ブレンダンという6世紀ごろに実在した聖人がティル・ナ・ノーグを探すための航海に出たという伝説的な話が後から作られたりもした(もともとアイルランドにあった異界探訪説話の類が実在の人物である聖ブレンダンにくっつけられたらしい)。

ブレンダンがクロム・クルアハに打ち勝ったあと、アシュリンと言葉を交わせなくなってしまい、アシュリンも狼の姿でしか現れなくなるのは、自然のエネルギーに知恵とか芸術といった人間的なもので一度勝ってしまったからとも、ブレンダンが描くことの恐怖を克服して成長した(大人になった)からとも取れる。

「ケルズの書」はなぜ美しいか

ブレンダンとクロム・クルアハの対決はとても面白くて、伝統的な組紐紋のような蛇の体が画面いっぱいに動きまわり、追い詰められたブレンダンはチョークで大きく円を描いてクロムを閉じ込めるというちょっと魔術的とんち(?)を感じる勝ち方。

平面性の強い本作の絵柄でこそ活きる表現でとりわけ好きなシーンである。遠近法や実際のサイズを無視しただまし絵的な表現が多く見られるけれど、それもきっと中世的な絵画世界を意識したからだろう。

クロム・クルアハからの戦利品はものとしてはただの拡大鏡なんだけれど、異教の神の目という呪術めいたアイテムでキリスト教の福音書の装飾を描くという展開もファンタジー心をくすぐられる楽しい設定。

実際、「ケルズの書」の装飾はキリスト教的ではない図像を多分に含んでいるし、当時の装飾師たちが異教的・土着的なものを含んださまざまな美術要素を取り入れたことで、より高い芸術性を持ちアイルランド美術の傑作となった。

こういう背景をさりげなく織り込みつつ、まるで動く絵本のような楽しいファンタジー作品として昇華するトム・ムーア監督をはじめクリエイターの方たちの想像力はやはりすごい。

「ケルズの書」で最も美しいとされ、写本装飾の集大成のような「キー・ロー・ページ」を描いたのはいったいどんな人物だったのか。

こんなアニメを見た後だと、やっぱりエイダンやブレンダンのような人だったらいいな~ってつい思っちゃうね……歴史の分からない部分にこそロマンも生まれるということで。

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