映画『テルマ』感想と解説。神か悪魔か。聖と邪を掛け合わせると

ノルウェーの雪深い森へ狩りに向かう父とその娘テルマ。二人は鹿を見つけ、父はライフルを構えるが、その銃口は幼いテルマに向けられる。いったいなぜ父は娘を殺そうとしたのか……?
不穏なシーンはテルマの謎が明かされてゆくまで暗い影となって付きまとう。

成長したテルマは田舎町を離れ、首都オスロの大学に通うため独り暮らしを始める。都会での暮らしに孤独を感じながら大学生活を送っていたテルマだが、ある日突然原因不明の発作を起こして病院に搬送されてしまう。しかしその時助けてくれた同期生のアンニャと次第に心を通わせていく。

ということで、『テルマ』は家族ドラマやロマンス、成長物語といった要素にさらにサスペンスホラー、スーパーナチュラルな要素も加わり、一言で作品を形容するのは難しい。

特徴的なのは、様式的な象徴的イメージ(蛇や鳥など)や巧みなカメラアングル、背景や小物の色彩、照明、もちろん音楽まで含めて、セリフに頼らない視覚的な説明にとことんこだわっているところで、細部まで丁寧に手を入れられた編集に、非常に映画らしい映画だという印象を受けた。

以下ネタバレありで解説と感想書いていきます。

『テルマ』のネタバレ感想

「テルマ」という名前に込められた意味

タイトルにもなっている主人公の名前「テルマ(Thelma)」。セルマとカナ表記される場合もあり、英語圏を中心にしばしば見られる女性名。

これはギリシャ語で「意志」とか「望む」を意味するthelema(セレマ)が由来になっていると言われ、マリー・コレリという19世紀のイギリスの小説家がヒロインの名前として採用したことで人名として広まった。

両親の抑圧下に置かれた少女が自分の本当の望みに目覚めていくという本作のストーリーにぴったりの名前。テルマの特殊な力の性質は「意志の力」そのものである。

また、thelema(セレマ)は19世紀から20世紀にかけてオカルティストや神秘主義者の間で重要な概念だった。アレイスター・クロウリーというイギリスのオカルティストは「セレマ思想」なるものを打ち立てて宗教団体を作り活動していた。
トリアー監督は『テルマ』の制作にあたってクロウリーの著書を含むオカルトに関する本をいろいろと読んだそうだ。本作から神秘的でどこか妖しい雰囲気を感じられる方は多いと思うが、それは監督のオカルト研究の成果が反映されているからだろう。

アンニャとの出会いとテルマの発作

図書館で勉強していたテルマの隣にアンニャが座ると、窓の外では鳥の群れが狂ったように飛び回り、テルマの手のひら、そして全身が激しくけいれんする。

てんかんの症状に似た原因不明の発作は、病院で検査を重ねるうちにストレスやトラウマが原因のものだと診断される。

テルマの発作は、同性のアンニャに惹かれながらもテルマの宗教的価値観がそれを激しく否定するときに起こっており、また発作の時は、鳥が奇妙な動きを見せたり、照明が点滅したりと超自然的な現象も同時に起こる。アンニャへの恋によって眠っていた力が目覚めたのだ。

オペラハウスでの一連の出来事は非常にドラマチックで、暗闇でアンニャに手を握られたテルマの動揺は、舞台上の緊張感あるダンスと連動するかのようである
ちなみにバレエはネザーランド・ダンス・シアターの『Shearing the Wolves』という演目のSleight of Handという一幕で、フィリップ・グラスの交響曲第2番が使われている。この映画はなにかと「」というパーツにこだわる。

発作の予兆のようにテルマの手は震えだし、天井の巨大な照明がグラグラと揺れ始める。
室内なので黒い鳥は羽ばたかないけれど、代わりに黒い衣装のダンサーたちがますます激しい動きを見せる。

バレエ鑑賞どころではなくなったテルマは思わずホールを飛び出てしまうが、追ってきたアンニャと人気のないクロークではじめてのキスを交わす。アンニャとのキスは、彼女が心の奥で望んでいたことではあるが、同時に許しがたいことでもあった。

その日の晩の父との電話で、テルマは飲酒してしまったことを告げるが、アンニャとのことについては一切触れられずにいた。

その後しばらくアンニャからの連絡を無視していたテルマだったが、パーティでアンニャと再会し、また友人たちに煙草を使ったからかいを受けて大恥をかく。そこでテルマが見た幻覚は彼女の欲望をありありと映したものだった。

テルマは検査の一環で医師にデリケートな質問をされるが、そこでアンニャへの気持ちと宗教的抑圧のせめぎ合いは最高潮になり、彼女を悩ませるアンニャそのものを文字通り消し去ってしまう。アンニャを消したテルマの表情は安らかで、解放感に満ちた心を表すように体は宙に浮いていたが、現実の彼女は激しい発作に襲われていた。

テルマの家族とテルマの能力について

大学生活を始めたテルマに親から頻繁に電話がかかってくるというシーンが多い。

作中の最初の電話のやりとりでは、両親がテルマの大学の講義の時間までネットで把握しており、すぐに過干渉な親だということがわかる。都会に出た娘を心配しすぎるあまりの行動と取れなくもないが、そう思おうにも幼いテルマにライフルを向けた父との矛盾を感じて、この家族の関係はいったいどうなっているんだろう?という興味を起こさせる。

テルマの両親は敬虔なクリスチャンである。3人でレストランで食事をしているとき、生物学を専攻するテルマは親戚の創造論者(唯一神が天地万物を創造したという考えを持つ人)を侮るような発言をしてしまい、父に叱られる。

医師である父自身が創造論者であるかどうかは微妙なところだが、テルマの特殊な能力のために、両親にはテルマをキリスト教的な教えから逸脱させてはいけなかったのだ。

テルマの力によって息子を失った両親はテルマを恐れ、再び恐ろしい力が目覚めないように娘を監視するしかなかった。両親にとってテルマの力は悪であり、それは神への信仰で封じられるべきものだった。マタイの福音書には、悪霊による発作に悩まされる少年をイエスが治すという話がある。

テルマは6歳のころにも発作を起こしており、その後1年間、父に強すぎる精神安定剤を処方され続けていた。彼女に幼いころの記憶がほとんどないのはそのためだった。

また、両親からすでに亡くなったと聞かされていた祖母もまた父の意向により強い精神薬を処方されていた。祖母がテルマと同じ力を持っており、祖父の失踪や自分の病気などの悪いことを引き寄せてしまったからだ。

アンニャを消してしまったのではないかという不安に取りつかれ弱りきったテルマは実家に帰り、そこでついに自分の力や弟のこと、母の足が不自由な理由を知る。

テルマは私を清めてくださいと神に祈るが、同時に神と父に対する強い怒りと自己否定を口にし、壁に向かって「なぜ私自身でいてはいけないんですか?」という悲痛な問いかけをする。
お前が望んだからアンニャは消えたんだと父はテルマを責め立てるが、その時父の背後のろうそくと母のいる寝室のろうそくが突然消えてしまう。

テルマの力を抑え込むことはもはや限界だった。また新たな被害者が出たら……?

両親はテルマに対し強い責任を感じており、また愛情があったからこそ都会に送り出したとは思うが、それ以上にテルマの能力に対する拒絶、息子を奪われたことへの割り切れない気持ちがあった。

父が注射器を用意するシーンにはライフルやロープが写し込まれ、冒頭のシーンと同じ暗いものを予感させる。

わざとコップを割ったときの母の表情を見て、テルマ自身も自分の運命を察するが、薬で眠らされ終わりを待つだけとなったテルマは夢を見る。

ボートで湖に出た父の手のひらから炎が起こり全身に燃え広がる。父は激しくもがくがやがて湖に沈んでしまうという夢。

夢の中で起こった恐ろしい出来事を確かめるように外に飛び出したテルマは無人のボートを見つける。父は祖父と同じような結末を辿った。祖母と同じくテルマがそう願ったために……。

意を決したように湖に深く潜っていくテルマはアンニャとの再会を強く願い、プールでアンニャとキスするイメージを心に描く。

自分の力を受け入れ望みを隠さなくなったテルマには、一度は消してしまったアンニャをもとに戻すことすら可能になっていた。

テルマはオスロに戻る前に母の足を癒す。病気や障害を治すイエスの奇跡のようだ。テルマはもう家に戻るつもりはなく、母が一人でも生きていけるようにということだろう。

アンニャとの会話で、テルマが「“聖なるもの”と“邪悪なもの”を合わせる」と言っていたことを思い出す。テルマは魔女にも聖女も超えた存在になったのだ。

光、火、手、氷、ガラス、蛇、鳥…象徴的なイメージの意味

本作では観客の無意識に訴えかけるかように意味ありげなイメージや小道具を繰り返し使っている。

電灯が点滅するシーンもとても多く、脳波検査での激しい光の点滅はある意味作中で最も過激で挑発的なシーンかもしれない。テルマが最初に受ける講義の内容は光や電気の二重性の性質についてだ。
点滅は呼吸とセットで演出されるシーンが多い。点滅はテルマの葛藤や発作と関連付けられているようで、彼女が自分の力を自覚し受け入れていく終盤では見られない演出になる。

ろうそくというものも繰り返し出てくるイメージである。
テルマがアンニャの部屋で初めてワインを飲んだ時に、「父が地獄の熱さを教えるためにろうそくの火に手をかざさせた」というエピソードを打ち明けてアンニャをドン引きさせるが、その時にもアロマキャンドルが映し出される。ろうそくの火で娘に恐怖を植え付けようとした父は、消えない炎で焼かれてしまうという皮肉な最期を迎えた。

は力の起点となるパーツ。コミュニケーションや祈るために使うもの。イエスは病人に手を触れて病気治癒を行った。父親もまず手から発火する。

湖の氷窓ガラスは生と死の境界線のように使われる。何かを封じ込めるための蓋や障壁のような役割もある。
アンニャと弟への無意識の罪悪感からか自己否定が強まっていたテルマは、弟にやったのと同じ方法で自分を罰しようとする。

テルマの力でアンニャは爆発した窓ガラスに吸い込まれるように消えてしまうが、彼女はどこに消えていたのだろうか。まさかガラスの中?
アンニャの髪の毛はガラスを不自然に貫通していた。

はもちろんキリスト教ではイブをそそのかして知恵の実を食べさせた邪悪な生き物。狡猾さや誘惑を意味し、サタン(神の敵対者、悪魔)と同一視される。しかし同時に、異端とされるグノーシス派では、蛇は人間に霊知を授けた善なる存在でもあり、「正邪を合わせる」というテーマにぴったりの生き物である。

ヒッチコックの『鳥』のような鳥の大群
カラスも聖書に登場する動物。世界各地の神話でも空を自由に飛ぶ鳥は地を這う蛇と対比されやすい存在で、鳥は天使や霊魂のイメージとも結びつけられる。鳥=天使蛇(竜)=サタン
北欧神話だと、カラスはオーディンの使い。

『テルマ』の鳥は、自由を求めるテルマ自身の心ようにも思える。図書館での最初の発作では、鳥は窓ガラスに衝突して死んでしまう。しかし、終盤で力を受け入れたテルマが思い描いたプールでのキスシーンでは、鳥はガラスにぶつからない。衝突寸前でテルマの意識は現実に戻り、彼女は岸で小さな鳥を吐き出す。

鳥はやがて息を吹き返したように空へ羽ばたいていく。水や風、虫の音に満ちた生命感あふれる美しいシーンだ。
父を消した後でようやく彼女の心が解放されたと考えるとなんとも難儀な親子関係だが……。

【考察】どこまでがアンニャの意志なのか?

結末は非常に解釈の分かれるところで、テルマは幸せそうだが、アンニャ自身の気持ちはどうなっているのか?と疑問を抱かれた方も多いと思う。アンニャはただの操り人形なのだろうか?

父親はテルマがアンニャの心をそうさせたという。一方テルマの能力は物を移動させるとか消すといった物理的な働きが多くて、人の感情にまで働きかける力があるかどうかはわざとぼかして描かれているように思われる。

最初に図書館でアンニャがテルマの隣に座ったのも、都会で寂しい思いをしていたテルマが無意識に引き寄せたからなのか?

住所を知らないはずのアンニャがテルマのアパートにやってきたのはほぼ間違いなくテルマの力によるものだろうと思える演出がなされる。だがそのあとで仲良くなっていく二人の姿はごく自然な友情のやりとりのように見える。

観劇中にアンニャがテルマの手を握ったり、クロークまで追いかけてきたのはアンニャの意志か、テルマがそうさせたのかはちょっとわからない。アンニャが彼氏と別れたのもテルマの力かもしれないし、単なる偶然あるいはアンニャもテルマに惹かれていたからかもしれない。かもしれないだらけですね。

ちょっと気になるのはその後で、テルマが連絡を無視したことにアンニャが少し怒っていること。
心を操られただけの人がそんな感情を抱くだろうか。お互いの気持ちはわかっているはずなのにどうして…?という疑問を感じているようだった。パーティにテルマを連れてきたのはアンニャの友達グループの男の子だし、例の煙草を吸わせるときもアンニャはすすめる側。問い詰めたいとか仕返ししたい気持ちがこの時のアンニャにはちょっとあったんじゃないかという気がする。
パーティの後も、アンニャはめげずに何度かテルマに電話をかけているが、テルマは出ようとしない。

あと、テルマに人の気持ちを動かすタイプの力があるなら、どこかの段階で親の強力な支配を緩めることもできたのでは?とも思ってしまう。テルマの力は無意識の願いすら叶えるほどに強い。それでも両親の気持ちが変わる様子は見られなかった。
それとも過去に父のライフルを下げさせたのはテルマの力?まさかね……

ラストのテルマの笑顔はダークヒロインが真に覚醒した瞬間のようにも見え、もしテルマが欲望のままに力をふるったら…と思わずにはいられない。映画は俯瞰のカメラ(まさに神や鳥の視点)でキャンパスを映して終わる。

私はテルマが力を自覚するまでの間は、アンニャにもテルマへの自発的な恋心があったけれど、テルマが自分の力を受け入れたあとは感情も支配を受けてるかもなあ……って感じがしました。

もしテルマに人の心すら思い通りにできる力があり、その自覚があるなら、相手の本心からの好意でも自分の力の結果でもテルマの現実認識に大差はないよねという気もする。

また見直したら受け止め方が変わりそうだけれど、今はこんなところで。

『テルマ』の作品情報

原題:Thelma/2017/ノルウェー・スウェーデン・デンマーク・フランス/116分

スタッフ

  • 監督:ヨアキム・トリアー
  • 脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト
  • 音楽:オーラ・フロッタム
  • 撮影:ヤコブ・イーレ

キャスト

  • テルマ:エイリ・ハーボー
  • アンニャ:カヤ・ウィルキンス
  • トロン(父):ヘンリク・ラファエルソン
  • ウンニ(母):エレン・ドリト・ピーターセン

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